上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
先日のチーズを捜し求める話を読んでみて、なんとなく普段思っていることの少しを解明できた気がする。人が恐れるのは本能的に変わることであり、無意識のうちに変わらないでいることを求めるようにできているのかもしれない、ということだ。わかりやすく言えば明日を変えることは怖いと思うようにできているということだ。
ざっくり言えば「保守的」か「革新的」か?なのだが、それらの言葉だけからは思いもよらないようなところにまで影響があるのでは、と感じずにはいられない。

例えば、、、好きになった異性に自分の気持ちを告白するとき、、、転職するために会社を辞めるとき上司に報告するとき、、、大事な学校の入試に挑むとき、、、それらをしなければ、今日と変わらない明日がくるのだから、その瞬間は「なんで俺がこんな目に」と思うくらいプレッシャーを感じるはずだ。

しかしそれを乗り越える努力を怠れば、一見同じようで今日よりもネガティブな明日を受け入れることになり、いつか、より大きなプレッシャーと対峙しなければならない日がくるような気がする。

別の事象を例に考える。クローン人間の技術が完成したとする(いつもながら極端だが)多くの人は「危険だ、やめろ」というに違いない(※ちなみに自分はクローンを推奨しているわけではない)それは自分の生きている「今」という時間がおびやかされる可能性が高くなるからではないか?今日と同じ平穏な日が明日こないかもしれないからではないか?確かにその可能性は0ではない。しかし、それによって今までにはなかった感動を手にいれることができるかもしれないとしたら。。。

小さなことで言えば、お昼に食べにいくお店でもいい。いきつけの店にいけば、知ってる味にありつける。しかし、新しい店にいけば大ハズレをひくかもしれないし、今までで最高に美味な食べ物に巡りあえるかもしれないのだ。

変わることを好む度合いは人それぞれであるので、変化を好む人間に「気移りしすぎだ」といったり、そうでない人間に「もっといろいろやれば」といってもナンセンスなのかもしれない。周りにそんな男とわかれちゃえよ、と言われても別れられない理由の1つには「明日の変化への恐怖」がないだろうか?「手に入れた幸せを失うことに対する恐怖」がないだろうか?

自分が不思議に思うのは、変化へ対する恐怖が人にはなぜあるのか?である。だが、、、もしそれが無かったとしたら・・・もっと地球は早く滅んでいたかもしれない。だから今までの繁栄をするにはバランスのよいレベルだったのかもしれない。しかし、それはあくまで今までの話。日々環境の変わる今、必要な変化、もとい、変化を受け入れるちょうどいいレベルとはなんなんだろう。保守か、革新か。この理屈だけで色々な事象が説明できると思うのだが、今回はこれにて。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://xbee.blog62.fc2.com/tb.php/8-01b94942
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。